きっかけは・・。
2007年02月01日
お葬儀に携わるとき、 もちろんそれぞれの家族模様や、人の感情やたくさんのものが目の前を交差する。
たまたま、昨日は大変多くの弔問の方をむかえ、盛大?
ともいえる通夜式となった。
元気だった故人の大きく笑うご遺影を前に
『本当に元気だったのに・・!』
『よく遊んだもんだー・・!』
と誰に話すともなく会話が生まれる。
そしてしばらく立つと、通夜式という故人の大きな輪の中で、
『久しぶりだねー』
『ちっとも変らんねー』
と新しい会話が花のように色々な所で咲き乱れていく。
通夜式が終わり、人が急に去った後、それを待つかのように、
遠方の親戚の皆様が、一つの場所に集合し、更に同窓会のごとく お酒の助けも入り宴会?が始まる。
私は、改めて亡くなった 故人様の力 を感じることとなる。
きっかけは、勿論 その死。
しかしその輪=和 の中にまた輪ができ、
縁の引き合わせを感じる。
通夜式とは、
その死をもって、
流れていく人生の中に最もご縁をいただく瞬間だと、
心を暖める大切な時間だと
今日も感じた。
「東京タワー」と「眉山」
2007年05月17日
『母の日』でしたね。
カーネーションが可愛い鉢植えに入ったり、
小さくアレンジされたりといたるとこで、にぎやかにデコレーションされていましたが、
あっという間に姿を消して日常に舞い戻ってしまいました。
やはり、母の日を意識してでしょうか?
「東京タワー」「眉山」と二つの映画が上映されています。
どちらも母を見る子の目線による、親子の関係が描かれている。

「東京タワー」は映画を二度見て、

「眉山」は、本で読みました。
両方、涙でした。
ひょっとしてまだ見ていない方もいるかもしれませんので、内容についてはさておき・・。
この二つの映画
母の死を通じ、そこからみえる真実みたいなものが共通して描かれているように思われてなりません。
私が、葬儀社として日々様々な家族に出会う中、よく感じるのが、
亡くなってみて初めて気づく、家族でさえ知らなかったその人物の姿みたいなものを発見する瞬間があったりすること。
私は、家族と同じ空気感の中、
新事実や新たな発見に感動を覚えます。
葬儀司会をするために、事前に故人様のお話を聞く中でいつも起こってくる発見。
お話の最初は
「真面目に生きた人・・。なんの特徴もない普通に生きた人でした」
という印象を持ち、謙虚にお話する遺された家族の方々。
でも、話すにつれて思い出に花が咲き 時間が経つ中で、こんなことも、あんなこともと、さまざまな出来事が思い出されていき、
それを少し私の言葉が手助けして、
「特徴もない普通に生きた人」の人生から、
実に深い意味合いが、表に浮かび上がってくる、
そして、その人だけの一つのストーリーが完成していく。
だから、どんな人の人生もドラマであり映画なのだ!と実感します。
今日も、ストーリー半ばの生きている私たちは、
時に主人公や
時に脇役を演じながら
完成を迎える日まで泣いたり笑ったりしてがんばっている。
その先、私の人生の終焉に
娘たちは、いったい何を発見するのだろうか?
そこに立ち会えないのは非常に残念だ・・。
喪主挨拶より―― 最愛の奥様から送る言葉
2007年05月25日
ご葬儀の現場で、とても胸に沁みる喪主挨拶を拝聴することがあります。
つい最近、拝聴した 「最愛の奥様から送る言葉」 です。

(※内容は、個人情報保護のため若干事実とは異なります)
┏‥━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━‥┓
パパは、透明人間になりました。
だから、家にいる時は目には見えないけれどいつもあなたたちの近くにいるのです。
そして、外に出たらパパは
太陽であり、
お月様なの。
だから、いつも暖かく照らし、光を注ぐのです。
...そう子供たちには話しています。
彼は、私に2つの宝を与えてくれました。
一つは、愛
これは、すべてを愛する事をいいます。
旅行の好きだった主人は、
春は、桜の下で花見を。
夏は、海へ海水欲へ、そして、 日よけに高山へ。
秋は、紅葉の美しいあの場所へ。
そして冬は、スキーへ行こう。
そう言っては、パンフレットを片手に、めぐるめぐる月日を自然の中で過ごす事で、四季折々の自然を感じさせ、自然を慈しむ心、 思いやりを教えてくれました。
そしてもう一つの宝は、3人の子供。
何よりも家族との時間を大切に大切に毎日を豊かにしてくれました。
いなくなった今でも、
あなたの大きな愛が、確かであったから
これからも4人で頑張っていけると思うのです。
それでも、困難にぶつかりくじけそうになった時、
どうか私たちにお力添えをいただくようお願いしたいと思います。
主人を支えていただいた多くの皆様、
季節ごとに感じる匂いや風をどうか大切に、人を愛する事を忘れないで下さい。
そして、今日は、ご縁をいただいた皆様で、どうか気持ちよく送って上げて下さい。
(享年 40歳の告別式より)
┗‥━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━‥┛
おくりびと
2008年10月01日
昨日、私の知り合いの方が奥さまと二人で来社られた。
一週間程前に、弊社の会館でお父様のお式をあがられた方だ。
その方は、お話をしながら心の整理をするように『父の死』を自身で理解し、 私に説明しようとしてくれているかのように思えた。
むしろ、私に話すというより自分自身に対して説いていたのかもしれない。
奥さまがそこで、
お棺にいる父は・・・人生の終焉間近の病床の父よりも生命力にあふれてまだ眠っているかのようでした・・・・・ と
私は、病院からすぐ戻られた故人様にもお悔みをさせていただいているので、納棺の儀式を終えた後の故人様のお顔が、ほんのりと色づき明るさを増した印象を思い出した。
お元気だった頃の故人様のエピソードと共に、お棺の周りを囲む送る人々。
その光景を思いながら、葬儀における納棺の儀式の意味をあらためて感じていた。
最近もっぱら話題の『おくりびと』 見にいかれましたか?
死を扱うお仕事 という不思議で悲しく忌み嫌われる??納棺士をコミカルに描かれていましたね。
葬儀屋さんで生まれて思うのは、
死は
特別な事でなく
喜びや悲しみや笑いやそういったすべての生きることの後にやってくるものだと言うこと。
だから、映画も笑えたり泣いたりで・・・。
ところで、昨日の奥さまが、こんなふうにおっしゃられました。
『子供たちが、おじいちゃんにたくさん触ってお別れできたんですよ。だって、あまりに美しくて生きているみたいだったから・ ・。』
おくりびと まだ見てない方 是非ポップコーンと共に映画館へどうぞ・ ・。

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